皆様の
思い出のレースを
教えてください!
オートレースは、今年で70周年を迎えました。
ファンの皆様に支えられ、数々のドラマと共に、オートレースは発展してまいりました。
本企画は、節目の70年にファンの皆様から「思い出のレース」エピソードを募り、投稿エピソードの中から大賞を決定させて頂くものです。
みなさまからの熱いご投稿、お待ちしております!
概要
受付期間 | 2020年11月1日~11月30日 |
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発表 | 2020年12月15日 |
プレゼント | 「金賞」クオカード 70枚 + amazonギフトカード70000円分 1名様 「銀賞」クオカード 7枚 + amazonギフトカード 7000円分 2名様 「銅賞」クオカード 3枚 + amazonギフトカード 3000円分 3名様 ※ご投稿いただいたご住所に発送させて頂きます。 |
「金賞」作品(1名様)
■エピソード
船橋最後の優勝戦。
1R~12Rまで船橋所属の選手が孤軍奮闘し、最終日1着はほとんど船橋所属の選手が1着でした。
そんな中行われた優勝戦。
1枠 青山 周平
2枠 木村 武之
3枠 永井 大介
4枠 中村 雅人
5枠 鈴木 圭一郎
6枠 西原 智昭
7枠 東小野 正道
8枠 荒尾 聡
永井が船橋の現役トップの選手として後釜の青山、圭一郎にこれまでの船橋の歴史を背中で見せてるかのような永井の渾身のレース。意地のトップスタートから青山に差されてやり返す。オートレース存続の危機を船橋支部長として最前線で回避する為の努力をしてきた人の意地を見たレースです。
船橋にどれだけの感動を教えてもらい永井にどれだけの感動を表してもらったか痛感したレースでした。
常に切磋琢磨して数々の名選手を産んだ最期の船橋のプレミアムカップ優勝戦が間違いなくベストレースです。
「銀賞」作品(2名様)
■エピソード
私は、子供の頃から毎週父に連れられて川口オートレースに行っていました。 大賞はSG第11回スーパースター優勝戦です。
片平選手本当に強くて一周回で1人ずつ捌けばいいから絶対片平だというのがファンの中では有名なエピソードだと思います。
私も父とこのレースをみて興奮し一生片平時代は終わらないと思っていました。
そんな私も片平選手に憧れて25期を受験しました。合格して父を喜ばせてあげれなかったのが今でも悔いが残ります。父は今認知症でオートレースの事はおろか殆どの事がわかりません。
そんな父に今こそ恩返しの大賞をあげたいと思い応募しました。出来ればもう一度だけ父とレース場で観戦したいなぁと思っていますがまたしても叶わぬ夢になるかもしれません。
小さな家族の夢ですがどうぞ最後までご一読くださいましたら嬉しい限りです。
■エピソード
「オートレースの魅力は何か」と聞かれた時に、「ハンデ戦で後ろからスタートする選手が前の選手をごぼう抜きする」ことであったり、「スタートを決めてぶっちぎるスピード感」であったり、はたまた「ベテラン選手が熟練の技で後続の選手を完封する」ことが魅力と答える人がいる。しかしながら私は、「抜きつ抜かれつの激しい攻防」こそがオートレースの魅力であると考える。
このレースは髙橋貢選手と中村雅人選手が主役。2人が順調に各車を捌いて、残り4周から2人が先頭・2番手の位置関係になるが、6周3角で中村選手が髙橋選手の内に入ってからはコーナーの度に先頭・2番手が入れ替わる展開。髙橋選手が冷静にしっかり隙を捉えて捌くシーンと中村選手がハングリーに無理やりこじ開けるかのように捌くシーンは両者のレーススタイルの違いと技術の高さを感じる。
両者のバイクが一瞬当たっているようにも見えるくらい狭いところを突いても落車しないところは何度見ても惚れ惚れ...
そして、このレースを更に盛り上げていたのはアナウンサーの存在である。このレースの実況の吉原完アナウンサーが放った「これがGIIか!まだまだ観たい、まだまだ観たい!」という言葉が名レースを物語っていたと思う。8周回がこれほどまでにあっという間に感じられたのは、私のオートレース歴ではこれが最初で最後である。
これは最近何かのきっかけでオートレースを見始めた人に、1番に薦めたいレースである。中村選手と髙橋選手のテクニックに加え、実況の吉原アナウンサーが入り、三位一体となってこのレースの魅力が高まったと感じられた。
「銅賞」作品 (3名様)
■エピソード
森選手がトップレーサーとはいえ、S級上位常連の選手と比較するとその実力は劣る。日本選手権優勝を獲りたがっていたのは知っているが、誰もがもう無理なのではと感じていたはずだ。森選手は優勝戦という大舞台で、スタートも切れて、圭一郎選手について行っているだけでも上出来であった。
荒尾選手に抜かれたときはさすがに落胆したが、3着にでもなれば十分な結果であったのかもしれない。しかし、先頭2車が落車する。すると、圭一郎選手や荒尾選手の車券を買っていたであろう人達が、一丸となって森選手を応援し始めた。
そう、誰もが日本選手権優勝を獲るのは無理だと思っていた森選手が、もしかしたら獲れるかもしれない、まさにその瞬間が訪れようとしていたからである。
そして、金子選手をおさえ、見事優勝。森選手だけでなく、オートレースファンの夢が叶った瞬間である。
森選手が今の実力で優勝するための条件は、3つであったのかもしれない。①天候、②他者のフライング、③他者の落車である。①前日の雨、②青山選手の失権、③圭一郎選手と荒尾選手の落車、その三拍子が見事に揃ったのである。運といえば運かもしれないが、運も実力のうちである。
23歳でデビュー、23年後に日本一。確か、養成所時代の車番も23だったはずだ。インタビューで「神様はいる」と言っていた森選手だが、どうやら「23」という神様に見守られていたような気がしてならない。
本当におめでとうございます、森且行選手!
■エピソード
当時、気になっている女の子と数回目のデートに自分の好きなオートレースに誘ってみたところ、「行ったことないけど行ってみたい。」とOKの返事。
退屈だったらどうしようと心配しながら、遅めのお昼を食べたあとに伊勢崎オートレース場に11レースから参戦!試走の見方や選手の特徴を教えてあげるも彼女はちんぷんかんぷんで「わからないから見てるね」と言っている。(やっぱり退屈だったかなぁ...)
そんな僕は「次の優勝戦は二人で決めたのを買おう」と提案。試走を見ると断トツで3番の貢選手が良い。次は5番の永井選手と6番の東小野選手と8番の浜野選手かなぁと思いながら彼女に聞くと「ラッキーカラーの緑とラッキーセブン、あとはピンクも好き。」と言っている彼女。
二人で話し合って、頭は貢選手で2着に東小野選手と浜野選手、3着は永井選手、東小野選手、佐々木啓選手、浜野選手の4人で勝負!!!
レースは早めに抜け出した貢選手の独走態勢で2番手はスタート行った荒尾選手、浜野選手と、東小野選手は3、4番手でまわっているが徐々に荒尾選手との差が詰まってきている。ついに浜野選手が荒尾選手を抜いて、さらには東小野選手が残り5周で抜いた!!
二人で「やったー」ハイタッチで喜びあっていると残り2周ごろから荒尾選手の逆襲、だんだんと距離が詰まっていくとともに二人で「そのままー」、「抜くなー」と大声で東小野選手を応援!その甲斐あってか、東小野選手が3着を死守!今度こそ安堵と歓喜のハイタッチ、配当も万車券でお財布もホクホク。彼女も興奮しながら「楽しかったね。」と言ってくれたので僕もご満悦。
帰りに二人で美味しいご飯を食べて帰りました。これが私と妻との初めてのオートレースデートの思い出です。
■エピソード
小さい頃から祖父の影響でホームの飯塚オートによく連れて行ってもらいました。
爆音とオイルの匂い、そして活気あるレース場の雰囲気に興奮していた思い出があります。毎日のようにオートに行っていた祖父が「この人を買えば必ず当たる」そう教えてくれた選手が、故中村政信選手でした。最終レース(当時11R)にいつも出走してるのですが、観客が多く帰りの車が混むせいか祖父は10Rが終わると帰る事がよくあったのですが、どうしても中村選手を見たいという自分の希望で最終レースまで残ってもらえる時は金網にしがみついて観戦していた覚えがあります。
ハンデ110メートルから追い込んでの1着、試走で体を揺らしながらコーナーを回る姿など、今でもはっきりと脳裏に焼き付いています。
オートを教えてくれた祖父も中村選手も天国に行ってしまいましたが、これからも一ファンとしてオートレースを応援していきたいと思います。