SPEED STAR リターンズ!Vol.04 98年4月発行 |
|表紙|P1-P2|P3-P4| |
| あきらめないで走っていれば、いいことあんじゃないか。 地元の願いを託してもらえる 昨年5月、地元・飯塚で行われたSGオールスター戦に、中村政信は全6場中の最多得票選手として出場した。決勝戦では痛恨のフライングを犯したが、レースでは、絶好調だった高橋貢の後塵を拝したものの粘りのレースで2位に滑り込み、西のエースとしての重責を果たした。 「たくさんの期待を背負って走ることはありがたいし、自分にもプレッシャーかけられるし、それはもちろんうれしいことですね。地元でね、気合いがカラ回りしちゃったところもありましたが(苦笑)。地元だと、よそに取らせないぞという気持ちはすごく出るし、選んでくれたファンの期待を裏切らない走り、したいですね。大きいレースになればなるほどそういう気持ちは強くなっていきますね」 地元でのタイトル戦を他場の選手に獲られたくないとの意識は、多くの選手に共通するものだろう。しかし、中村にはその思いがひときわ強く感じられる。 「SGタイトル自体、飯塚勢はかなり遠ざかってたし―――。それに自分の中には<飯塚の一ファンとしての気持ち>があって、地元に強い選手がいて勝ってほしい!という願いがあるんです。そういう思いを託してもらえる選手に近づいていきたいと、がんばって走ってるんですけどね」 年間全SG優出を実現した、 中村政信は、伊勢崎の田代祐一を<兄イ>船橋の島田信廣を<父さん>と呼び、敬愛している。 「今はみんな同じエンジン積んで闘っているわけだから、その中で一年通して全部のSGで優出するというのは凄いことだと思うよ。仮に恵まれたエンジン持ってても、それを一年間維持するのは素晴らしい感性をしていると思う」 なるほど、四季の温度差や晴雨の別に細やかに対応する繊細さと、強い意志の持続―――そううしたものを兼ね備えなければSG全優出は果たせないだろう。記録を見てもここ数年で、かつて苦手にしていた雨走路を克服したかに見える。しかし中村自身は、運の力を借りた部分がまだ大きいと厳しい自己評価を下す。 「去年はたまたま、ずぐりがいい―――めぐりあわせがいいことが続いたというか。マシンにあった気候や走路コンディションになってくれたり、大きいレースにいい状態に仕上がり、いいコンディションで準決勝を戦えたことが成績につながっただけですよ」 苦手な天候といえば、あと夏場の熟走路をやや不得意としているぐらいに思えるのだが。 「いや、まだまだ。風が強かったりしたらダメだし、雨にしても、自分の場合どの走路でも乗りこなせるよという雨じゃないですから。去年は、ここの走路の雨なら乗れるとか、そこそこ回っていけるんじゃないかというレース場でだけ雨が降ったというか。浜松なんかの滑る走路だったらまだ全然乗れなかったりします。夏に関して言えば、夏はどうしてもタイヤが滑るんで、ハンデが重いとキツイということはあるんですが、結局その夏走路を克服できるエンジンを作れてないということなんです」 中村の自己評価はあくまでも弛まない。 あきらめない走りが 中村政信のフアンの多くがその魅力を、追い込みの力と決してあきらめない走りにあると言う。昨年で言えば、GI飯場開設40周年記念レースでは雨中の決勝最終周3角で先頭に立ち、GI浜松開場41周年記念ゴールデンレースでは最終4角で鈴木章夫を抜き去り、いずれも場内をどよめかせた走りがその好例だろう。 「浜松のGIはほんとエンジンが出てましたから、乗ったというよりも出てたあー、いう感じ。飯塚のは、雨でも食いつく走路だから、大丈夫だ!最後まであきらめないでいこう!と思ってましたね。とにかく苦手意識を持ったりして気持ちで負けた時点で体も動かなくなるし、いい結果出せないことはわかってるから、走路に上がった以上は負けてると思いつつ自分が一番だ!みたいな気持ちで走んないことにはね。 中村は、プレッシャーに負けないそうした気持ちの持ち方やレースの取り組み方まで、すべて島田信廣と田代祐一に教わったと言い切る。<父さん>島田信廣の中村評はこうだ。 「中村は我々といっしょの集団でやってきた選手で、その中で人より努力した奴だね。けっして彼を特別扱いしたことはなくて、みんなに同じことを言ってるんだけど、それを吸収する・しないの差が出てくるんだ。一度壁にぶつかったときにそのまま挫折して越えられない選手が多いんだけど、あいつはなにくそと、あきらめなかった」 <あきらめない>中村政信。島田の言葉にもそのキーワードは当たり前のように組み込まれていた。 片平巧と決勝で走って勝つことが<全国の>中村政信への道だ。 昨年の獲得賞金は1億円を突破し、1億の髙橋貢に僅差の2位。中村政信はデータ的にはすでに、<西のエース>の域を越え、オート界の頂点に達している。 「いえ、島田選手には、片平選手に勝たないと認めんと、スーパードリームに出てくる連中といっしょに走って勝つレースをしないと俺は認めん!と言われてますから。まだまだです。実際、(決勝で)片平選手といっしょのレースではタイトル獲ってないスから。片平選手を破んないことには、西のエースの<西の>ははずれません」 よく知られているように、最速男・片平巧と中村政信は花の19期同期生だ。 「片平選手、同期ですからね。やっぱり負けたくないって気持ちはあるんですが…これがまた速いんですよ(苦笑)」 では、中村政信が最後のステップを駆け上がり、全国のスーパースターになるためのカギはどこにあるのだろう。 「今の流れとしては、自分にない、髙橋貢君とかすごくいいスピードを持ってる選手がどんどん勝ってますし、ああいう独走力を活かせる選手になりたいんです」 <兄イ>田代祐一も、混戦に強いレースができる中村がスピードを手にいれたとき日本一が見えてくるだろうと、その発言を事付ける。最後に現在の目標を尋ねてみた。 「最終目標は日本選手権ですけど、やっぱりまず地元開催のSGを獲ってみたいですね。それから、恩返しじゃないですけど、SGで戦えるまで自分を教育してくれた島田さん田代さんといっしょのSGで勝ちたいですね。ふたりが凄え強いときの、それこそ圧倒的な勝ち方で―――」 インタビューの翌日から川口で開催されたSGスーパースター戦でも中村政信はしっかり優出し、SG戦9回連続優出と記録をまた伸ばしたが、決勝は片平巧のぶっちぎりの優勝で幕を閉じた。中村は番手を落としてはまた盛り返すうちに周回を使い果たし、6着。続く1月のオールスター戦は、昨年のフライングにより出場できない。中村政信の新たな挑戦は、地元SGである7月の東西チャンピオンカップから始まる。 「中村政信は今はまだ自分の足りないところを補うカタチで成長していて、その中で結果がついてきているという段階だと思う。この世界で一番になる奴はみんな独特のものを持ってるもんだ。これだけは絶対負けないという奴だけのものが出てきたとき、それが西のスーパースターから日本のスーパースターになるときだろうね」 | |||||||||||||||
※文中敬称略 ※文中のデータはすべて1998年4月現在のものです。 |
|表紙|P1-P2|P3-P4| |