AUTORACE.JP
アーカイブ

過去のインフォメーション

BACK NUMBER

(青木候補生特集記事)






今夏、ロードレースの元世界チャンピオン・青木治親(28)が、公営競技・オートレースの選手としてデビューする。茨城県筑波にある養成所での厳しい訓練もいよいよ最終段階。異例の転身を目指す男の現在、過去、そして未来は――。7月のデビューへ向けカウントダウンに入った青木に迫る。

一生ライダー
生涯のパートナー・オートバイとの出会いは6歳の頃。兄2人とともにポケバイを始めたのが最初だった。それから22年、青木はバイクとともに駆け抜けてきた。
「たぶん、タバコを吸ってる人がやめられないっていうのと同じでしょうね」
 ロードレーサーとして限界を感じ人生の岐路に立たされたときも、バイクから降りるという選択肢はなかった。
 「一生ライダーでいるのが自分の道かなと思いました。今までの経験を生かせない仕事はイヤでしたから」
 そんなとき、偶然オートレース29期生の募集時期が近いことを知り、受験を決意。転身の最後の決め手となったのは「やってみなよ」という妻・美代子さんの一言だった。青木は27期生募集時から始まった特例枠(ロードレースの世界選手権などで一定の成績をおさめた者を一部試験免除する制度)で合格したため、候補生(一般枠は独身が条件)のなかで唯一の妻帯者。養成期間の今は妻を実家に帰し訓練に集中しているが、離れていても夫婦の絆が支えになっているという。
 「手紙には心配かけまいとして、『元気にやってる』と書いてあるけど、ホントは辛いと思うんですよね。向こうも頑張っているから、僕も頑張ろうって思えるんです」
 養成期間は外部との接触を断たれているため、電話やメールでの連絡がとれない。唯一、手紙だけが夫婦のコミュニケーションなのだ。
 養成所に入所して半年。訓練では「ロードとオートってこんなにも違うのか」と驚きつつ、ロードレース時代の走法癖を直すことに四苦八苦している。「スピードを出すことを怖がらない」と教官たちが絶賛するように素質は秘めるが、それを生かすまでにはまだまだ課題が残るようだ。
 両足先をバイクに乗せ、上体を前傾させて乗るロードレースと、コーナーでは左足を出し、上体を立てて乗るオートレース。同じバイクでも操り方からバランスの取り方までまったく異なる。レース内容も様々なパターンのコーナーがあるロードレースと、オーバルコースで周回を重ねるオートレースではまったく違うため、展開から抜き方に至るまで変わってくる。ロード時代はメカニックに任せていた整備も、今後は自分自身でやらなければならない。
 「共通点といえば、精神力じゃないですかね。気持ちを落とさないこと。オートも気持ちひとつで結果は変わってくると思うんです」
 青木は自称「人一倍の負けず嫌い」。そのため、負けときは「悔しさだけを残して、次の日は違うことを考えるようにしてきた」と気持ちの切り替えを重要視してきたという。おそらく幼少時から鍛えあげた精神力はここでも生かされることだろう。

ライバルの死
昨年4月、ポケバイ時代からの仲間であるロードレーサーの加藤大治郎(享年26歳)がレース中の事故で帰らぬ人となった。
「すごいショックでしたね…。でもいくら悲しんでもアイツは帰ってこないし…。僕がくじけてたらアイツはどんな顔をするだろうって思うんです」
 天国で見守ってくれているかつてのライバルも青木の転身を喜んでいることだろう。青木はオートレースに戦いの場を移しても、「アイツのために頑張りたい」と誓った。
 また、6年前には兄の拓磨がテスト走行中に転倒し脊髄(せきずい)を損傷。今も車イスでの生活を強いられている。「正直、その直後はレースにビビりが出てた」と打ち明けたが、復活を胸にリハビリに励む兄の前で弱気な自分は見せられない。
 オートレースでも大ケガや死は常に隣り合わせだが、今はもう恐怖心はないとキッパリ言い切る。凛(りん)した横顔には堅い決心があった。「走るからには1人でも多く抜きたい」。新天地でも当然、強気に頂点を目指す。デビューまで残り3カ月。ここからがラストスパートだ。

阿部光雄も太鼓判
現役オートレーサー阿部光雄は、息子(典史)の友人である青木を幼少の頃からよく知っていた。今回の転身についても青木から真っ先に相談を受けたという。
「治親と最初に会ったのは小学生の高学年くらいだったかな。その頃すでに青木3兄弟といえば有名で、真ん中の拓磨はすごい速かったな~」
 やんちゃ坊主の拓磨に比べると、治親は控えめだが人懐こい笑顔が印象的な少年だったという。
 「今でもそんな性格で、すごい優しくて穏やかな感じだよ。今回の件? オートへの転向については親よりも先に相談を受けたんだ。確か一昨年の秋頃。オランダかどこかのレースで会ったときだったと思う」
 ロードレース界で頂点まで上り詰めるのはひと握り。しかも、大抵は30代で限界を迎える。その点、オートではある程度安定した収入が得られ、阿部のように50代でもS級で活躍する選手も珍しくない。既婚者である青木の立場やロードレーサーとしての将来を考えた上で、阿部は転身に賛成した。
 「でも、もうオレに相談した時点ですでに気持ちは固まってたんだろうな。どうしても行きたいのでお願いします、という話だったよ。特例枠ができた以上、治親みたいにロードレースでチャンピオンになった有名なヤツが入ってくれば、オート界にとってもプラスになるし、良かったと思っているんだ。スピード感覚なら普通のヤツより優れたいいものがあるし、絶対に経験は生かせるはず」と治親の活躍に太鼓判を押していた。
阿部光雄(あべみつお)54歳。
川口所属6期生。デビュー36年のベテランにして、今なお川口S級(上位10人)で活躍。主なタイトルはSG第12回日本選手権、SG第5回オールスター。次男の阿部典史はノリックの愛称で有名なモトGPのロードレーサー。

担当教官の話
2月下旬のタイムトライアルでは候補生39人のなかで上から2番目でした。タイヤを滑らせなければトップだったかもしれません。やはり、他の候補生とはマシンの扱い方が違うというか、安定味がありますね。ただ、ロードレースとはフォームが違う
ので乗り方は本人も模索中ですが、それでも乗っているときの余裕なんかは他と違うと思います。私生活では年長者だけに、みんなのまとめ役をしているみたいです。

内外タイムス・小室記者の目

第一印象は「好青年」だった。勝負師というより保育士のような雰囲気。そこには過去の栄光を鼻にかけるような態度は微塵も見られなかった。まさに阿部(光雄)選手から聞いていたイメージ通りだったので、非常にリラックスして取材を行うことができた。
 彼は特例枠で養成所に合格した第1号。周囲からの多大な期待を背負いオート界に新風を運んでくる。いろんな意味で注目選手だけに、プレッシャーも大きいことだろう。
 だが、私は取材のなかで、彼の内に秘めた強さをしっかりと感じた。元世界チャンピオンのプライドを胸に、いずれはオート界を担う一選手へと成長することを期待している。
 所属レース場には川口を希望しているそうだ。阿部選手が師匠になれば、彼の才能が最も引き出されるのではないかと私は密かに思っている。

青木治親 (あおきはるちか)

1976年3月28日、群馬県子持村生まれ。28歳。小学生の頃から兄の宣篤、拓磨とポケバイレースに出場し、全日本選手権や鈴鹿8耐などで活躍し始める。青木3兄弟として名を広め、治親が17歳のとき、そろってロードレース世界選手権に参戦。その後、治親は95、96年と世界GP125CCクラスで王者に輝き、97年に250CCクラス、99年に500CC(現モトGPクラス)に昇格するが、昨年の鈴鹿8耐を最後にロードレースから退き、オートレース29期生を特例枠で受験。現在は茨城県の筑波養成所で訓練を受けている。デビューは今年7月下旬予定。家族は妻の美代子さん。


オートレースとは・・・
オートレースとは競馬、競輪、競艇とならぶ公営競技のひとつ。全国に6場、関東には川口、船橋、伊勢崎にレース場がある。1周500メートル。アスファルトのオーバルコースで、基本的にはオートバイ8車が6周でスピードを競う。スピードは直線150キロ、コーナーで90キロ出ると言われている。


AUTORACE.JP
COPYRIGHT(C) JKA. ALL RIGHTS RESERVED.