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オートレース|SPEED STAR リターンズ!Vol.04 98年1月発行

  SPEED STAR リターンズ!Vol.04 98年1月発行
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黒潮列伝04

タイトルを獲ったとか獲らないとかじゃない。
あいつがいちばん速いと思われたいんだ。

ひとりだけハンデを背負って後ろから走るということ。

 1997年1月29日、川口で行われたSGスーパースター王座決定戦の優勝戦で、<事件>は起きた。11回を数えるスーパースター優勝戦で初めて、片平が単独10ハンに置かれたのだ。 結果、片平は見事に7車抜きでスーパースター戦3連覇を果たし、このハンデが正しかったことを証明してみせた。1200万円もの賞金のかかった選手としては、どんな思いがするものだろう。

 「この世界に入った当時から、ひとりだけ後ろから走っていくというのは目標だったんです。普通の開催であれ、SGであれ。 今まで一般開催は後ろから走っても、SGの優勝戟は同ハン(という不文律)でずうっとやってきたわけですけど、それを、SGでも後ろから走らしたってことは、今までの人たちよりも評価が高いということだと思うので、やっぱりうれしかったですよね。勝ててなおさら、ですけどね。ただそれが10(m)後ろだったから妥当かなと思いましたが、例えば20後ろとか離れたらちょっと…と感じたかもしれませんね」

 実はこのレースの直前、片平はインフルエンザにかかり、38度の発熱を起こしている。繰り返し点滴を受けながら4日間を戦い抜き、決勝のゴールに飛び込んだ時には、歓喜ではなく安堵感に包まれたという。

 「レースに勝って、うれしい時と、ほっとする時とがあるんです。  勝てないんじゃないかと思っていたのに勝てたときは絶叫とともにゴールに飛び込むような、すごい歓びがあるんですよ。そうではなくて、走る前に勝てそうな時、自分のほうが仕上がりがよくて取れそうな時は、うれしいよりも、ああ取れてよかったな、となる。チャンスはなかなかめぐってくるものじゃないし、今回チャンスと思うと、勝たなきゃいけないというプレッシャーがかかって、それでほっとするんでしょうね。スーパースター戦はマシンの仕上がりもよかったし。体調にしても長年のレース経験で、7度台の熱まで下げればいける、と思ってましたから」

 勝てて、ほっとすることがある。そこには確かに、トップレーサーとしての強烈な自負が隠れている。

 「イン高速走法」と呼ばれる片平の走りは、その走りを初めて目のあたりにした新人をして「絶対曲がれないというところを曲がっていく」 と驚嘆させる。その感想を片平にぶつけてみると、「たぶんそれは技術の違いではなく、自分のイメージしている走りと皆がイメージしている走りの違いじゃないかな。皆は(マシンを)寝かして曲がろうとするけど、自分は起こして曲がろうとしているから」と、こともなげな返事が返ってきた。

来てくれたお客さんに、面白いレースを見せてあげたい。

 SG戦優勝はすでに10回を数える。2年連続の賞金王、3年連続の最優秀選手賞獲得など、片平のバイオグラフィーには既に絢爛たる記録が残されている。
例えばSG第一回東西チャンピオンカップの優勝インタビューでの「(高橋)貢クラスの選手があと2、3人でてきてほしい」 という発言には、そうした記録に裏打ちされた自信を感じるのだが、片平に言わせると、それはむしろ自らの気質からでた言葉らしい。

 「32歳になってやっと自分の性格が分かりだしたんですけど、なんかね、ものを考えるときに自分のことでもなんでも客観的に見ちゃうんですよ。 で、自分がオートレース界でがんばってて、自分が評価されることも大事だけれど、オートレースというものが評価されることも期待してしまうんです。そのためにも来た人に面白いレースを見せてあげたいという気持ちが強くて、それにはやっぱりトップレベルの選手が何人もいたほうが面白いと思うんですよ。そういう意味で、彼(高橋貢)の名前をあげたんです。やっぱりベテランの選手よりも若手のほうが可能性があるわけでしょ。だからどんどん若い選手に成長してほしい。それが自分の励みにもなりますからね。違う言い方をすれば、活気のある職場にしたい、ということかな。活気のないところって人が集まんないって思うんですよ。それって自分の考えることじゃないと思うんですけど、そういうことを考えがちなんです(笑)」

 片平を脅かす次世代レーサーの最右翼にいる、当の高橋貢について聞いてみた。

 「まず走りが、ほかの若手にないスピード感があるじゃないですか、グリップの開けもいいし――。、開けようとしている人はいっぱいいるんだけど、 あいつは開けて、車を前に進めるのがうまい、と思うんですよ。見てて気持ちがいいし、あと精神的にもかなり強い面ももっているし、全体的に見ていて、いさぎいいですよね」

雨で速く走りたいと思わなかった。そのツケを5年で取り戻す。

 もしオートレース場がドーム式の競走路になれば1昨年逃したSGグランドスラムも軽々と達成しそうなはど、 晴れ走路では神がかった走りを見せる片平巧だが、一転雨のレースになるとあっけないほどの負け方をしてしまうことでも有名だ。昨年のSGでも、全日本選抜の決勝で8位に沈み、オールスター戦では予選3日目・単独10ハンで臨んだレースで5位となり準決勝進出を逃している。

 「雨はね、やっぱりまだぜんぜん競走レベルまで達していないんですよ。苦手意識も持っているし、克服できないんですよ、いまだに。 自分で分析すると、デビューする前から、雨の日にやるオートバイレースって観るのもするのも好きじゃなかったんです。雨で速く走りたいと思ってなかったんですよね、ずっと。で、若手の頃からあまり、晴れと同じようには取り組んでこなかった。で、後になって必死に練習したりしはじめるんですけど、なかなかそれまでさぼってたぶんが取り返せないっていう感じですかね。さぼってた期間?うん、8年ぐらいか…(苦笑)」

 練習も整備も理詰めに追求するという片平だが、雨について話す彼は、それまでの徹底してクレバーな表情の隙に、居心地の悪そうな、 はにかんだような笑みを時折浮かべる。

 「雨を克服するのは、まず意識の問題ですよね。苦手意識を克服すること。 それと結局なぜ走れないかというとタイヤがすべってグリップしないからで、そのへん雨の日にどうエンジンやフレームをセッティングしたらいいか、きっかけがまだつかめていないんです。晴れでさえセッティング覚えるのに7年とか8年かかってますからね。ましてや雨は年間10レースとか15レースでしょう。だからなかなか前に進まないんです。なんか覚えたかなあと思うと3、4か月雨が1滴も降らないとかで、たまには水まいて練習させてくれよと(笑)、今は個人的に思うんですけど。あと5年くらいで乗れるようになればいいかなと思います。ま、気持ちとしては明日にでも乗りたいんですけど、なかなか現実は厳しいですから」

目標は、記緑ではなく、最速の記憶を残すこと。

 今回のインタビューは、関東が久方ぶりのしっとりした雨に包まれた11月13日、 片平のホームグラウンドである船橋オートレース場にて行われた。1週間後に日本選手権を控えた片平は、シンと静まりかえったガレージで、エンジンの部品を全部取り替えるという、ドラスティックな整備に取り組んでいた。

 「選手権は自分がこのオートレース界に入ったきっかけでもあるし、1年でいちばんがんばりたいレースなんです。 昔の話ですけど、高校中退してアルバイトしてて、お金もないし、その時に1分何10秒で1千4百万もらえるレースがあるんだって聞いて、この世界に入ったんです(笑)。ねえ、ふつう何年仕事したら1千4百万になるのか。とんでもない仕事だなと思って。そのレースが日本選手権だったんです。ただ、最近思いが強すぎて、逆にプレッシャーになってるかなという気もするんです。それをもう少し楽しめるようにしたい。日本選手権に参加できること、レースをできることに歓びを持ちたいと考えています」

 百戦錬磨の片平にして、選手権を前にしての昂ぶりを冷ますのは容易ではないらしい。 最後に、選手権への意気込みをかねて、トップレーサーとして片平が(どうしても譲れないもの)を尋ねてみた。

 「単純ですけど、いちばん速く走りたいということです。タイトルを獲ったとか獲らないとかじゃなくて、 あいつがいちばん速いと思われたい。お客さんが自分の眼で見ていちばん速く見えるっていう―――。レースには運・不運が必ずある。たとえ勝てなくても、いちばん速かったと思われたいんです」

 11月21日から伊勢崎で開催された日本選手権は、オートレース界にとっても、片平自身にとっても (次の時代)の胎動を予感させる結果に終わった。
決勝戦をぶっちぎりの独走で制したのは高橋貢。準優勝は畑吉弘。いずれも片平の次の世代だ。
 片平は大胆な部品交換によるエンジンの出来を「不安も無限大だが可能性も無限大だ」 としていたが、遂に最終日まで仕上げきれなかったようだ。しかし、初日・二日の雨走路を2着・3着と激走。(雨にも強い片平)への思いをアピールしてみせた。

決勝での片平の試走タイムは、高橋のそれより0.04秒遅く見劣りしたが、一番人気は片平のものだった。 ファンは、たとえ戦いに敗れても片平がいちばん速い男であることを、知っている。

※文中敬称略
※文中のデータはすべて1998年1月現在のものです。
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